甘く香るか青いバラ

ロードバイク初心者がディスクロード+EPSを自分で組んだ記録から始めてみる

所用で愛知県岡崎市まで日帰りR32GT-R

土曜日は所用で愛知県は岡崎市まで行ってきました。

目論見としては、積雪期甲斐駒ヶ岳黒戸尾根ルートを登った後に夕方岡崎を経由して帰ってくるってのだったのですが、今週も忙しくて睡眠3時間台という状況下、2,967mに登るだけの休息ができていなかったので、早々に断念。

勿体ないですが、直行直帰にしました。

 

御殿場以西にはまず行かない&SA・PA寄らない私、東名高速の駐車場のレイアウトが分からず、SA・PAで駐車できずにスルーしたり。

でも新東名高速の120km/h規制は快適ですね。

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まだ花が残っていた枝垂れ桜。

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静岡県も西部になるとPAも空いてきます(が、沼津までは暗いうちから混雑してました。)

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長篠設楽原PA下りのつつじの花満開。
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9時前に岡崎東I.C.を降り、何故か往路左側(=復路右側、而も中央分離帯あり)にしかガソリンスタンドがないらしい謎配置に予め宇佐美をチェックしておきまして、入ろうとしたところ長蛇の列、といっても路上待機と合わせて12〜13台くらいですか、並んで給油したところ、何とハイオク1ℓ170円、割安な筈の宇佐美浦安よりも8円も安く。

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地方行った時は浦安までの残量ギリギリくらいになるようにしか入れないのが通例でしたが、安心して満タンにしました。

 

所用は10時半頃に済み、復路へ。
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往路は新東名を使ったので、復路は制限速度100km/h、道幅狭、交通量多の東名を利用。私は往復別の経路を取ってみたかっただけ、往路に偶々(というかカーナビが選んだから)新東名を使ったので復路には東名ってだけなのですが、何で皆東名の方を選ぶんでしょうね。

これのためかしら、の日本坂からの富士山。
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或いは100km/h、ちょっとオーバーくらいが快適なんですかね、もっと飛ばせる新東名も制限速度いっぱいまで出していない車の方が多かったし。

私はね一、(自分の感覚的に)普通に走ったら、もし検挙されると6点減点か12点減点かのボーダーくらいなので(しませんよ)、新東名でもまだ遅いですけど。

これが狙いで早く行ったのですが、現地を早く出られたおかげで、流れの悪い箇所には何度も当たりつつも海老名S.A.大和トンネル区間を除くと渋滞にも嵌らず、15時には帰宅できました。
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1日でトリップメーター650kmくらい走ったことは久しくありませんでしたね。
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八方尾根スキー場日帰りで600km丁度、往復650km実家方面だと福島県との県境栗子峠辺りで引き返し(やんないけど)に相当。

 

滅多に行かない土地まで行ったので、往路で静岡県内と愛知県内の両方のS.A.によって土産菓子を大量に買い込み、復路では浜名湖S.A.に寄ってバウムクーヘンを買い込み、

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あと浜名湖ではみかんも買い込みました。

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大漁大漁。

 

思惑通りに帰れたので、嫁と名残の桜を見に出て、

桜は遅かったのに藤がもう咲き、
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株にもよるけどツツジも満開の箇所もと早いものがありますが、

桜は満開の個体を探して歩き、
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ほぼ終わった境川左岸に対し、右岸はピークは越えたものの先週よりよく咲いていました。
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東北も気温が上がって仙台も満開になっているので、もっと遅い実家周辺もGWまでは持たなそうです。

 

今日は、昨日疲れて早寝し、且つ遅く起き出して、嫁と電車で乃木坂、六本木方面に行って、それから通算26回目の献血

新国立美術館

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の満開のツツジ
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シャガール展じゃない展示会を見に行ってました。
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ウィーン&ローマ旅行記 番外Residenza Ruspoli Bonaparte 後編・完結 貴族の館の今

ルスポリ宮殿は、B&Bだったりホテルだったり(レジデンツァ・ルスポリ・ボナパルテとレジデンツァ・ナポレオーネⅢは関係者、他のの2つはテナントだと思いますが)、

Splender Suite Rome

www.splendorsuiterome.com

Hotel La Place Roma

laplaceroma.com

Residenza Napoleone Ⅲ

 www.residenzanapoleone.com

 

100年以上の歴史の飲食店だったり、高級ショップのテナントだったり、またメンモ財団という公益財団の本拠地になって美術展なども開催されますが、多分に漏れず維持には苦労されているらしいです。

 

建築的にも美術的にも歴史的にも重要な建物ですが、文化財に溢れるイタリアでは決して少なくないこのクラス、とても財政支援は及ばないらしいく。免税などの優遇はあるでしょうが。

カラバッジョの天井画がある唯一の邸宅も競売に掛けられるくらいだし(これは内輪揉めと、属人的な理由による管理不行届が原因のようですが)。

www.afpbb.com

これと比べれば、日本は単に支援の手が薄いというか、国も民間も意識が低過ぎるのではないかな。重要文化財ならまだしも、登録有形文化財は補助も税制優遇も半額で対象に制限があり、公有文化財すら解体例があります。民間なら、維持に苦しんで解体する例は数多あり、ビジネスなら登録後の面倒を嫌って申請しない例など数えようもなく。

 

そんななか、宮殿やお城に泊まれるって凄いじゃん(1泊1組限定のシェーンブルン宮殿は本物だが、残念ながら「敷地内の別棟に泊まるだけ」のヴェルサイユ宮殿アルハンブラ宮殿は断じて違う。あとは、貴族の云々じゃないけど、スロベニア🇸🇮で泊まったホテル・ブレットは正真正銘、嘗てのユーゴスラビアのチトー大統領の別荘でした。)、ということで、他にも泊まれるところがあるのか、教皇貴族の宮殿(幾つも持っているケースが普通にあるので、ローマにおける一族の本拠地という基準で)が今どうなっているか調べてみました。

 

Aldobrandiniアルドブランディーニ家:現首相官邸キージ宮のキージ家の前の所有者だが、長らく一族の拠点であった郊外フラスカーティのVilla Aldobrandiniは、アルドブランディーニ本家筋が絶えた後血縁のボルゲーゼ分家が家名とともに継承し、現在イヴェント会場。
⑵Barberiniバルベリーニ家:1949年政府所有となり、現在国立古典絵画館。

barberinicorsini.org

⑶Borgheseボルゲーゼ家:現在も私有、「チェンバロのギャラリー」として一部開放。
⑷Borgiaボルジア家:後述スフォルツァ・チェザリーニ宮殿を建てたのがボルジア家。ボルジア家は、1748年に本家が絶えて長いだけあって、有名な割にはあまり名前が残っていない模様。

www.palazzosforzacesarini.it

⑸Borromeoボロメオ家:ボロメオ宮殿は、婚姻とともにコロンナ家の所有になった以降も何度も所有者を変えましたが、WW2前にイタリア政府が購入し、在バチカンイタリア大使館になりました。

ambsantasedevaticano.esteri.it

⑹Braschiブラスキ家:ナヴォーナ広場に面したブラスキ家の宮殿は、着工も比較的新しいのですが資金難で未完成のまま1871年にイタリア政府に売却され、内務省ファシスト党本部となり、現在はローマ博物館。

museodiroma.it

⑺Chigiキージ家:キージ宮殿として有名な宮殿は、150年くらい前にイタリア政府が取得し、現在首相官邸

www.governo.it

⑻Colonnaコロンナ家:コロンナ宮殿は現在も私有、必見の宮殿ギャラリー。

www.galleriacolonna.it

⑼Cyboサイボ家:カラーラの名門ですが、18世紀に途絶えており、一族がローマで居住した館については記録を確認できず。
⑽Doria-Pamphili-Landiドーリア=パンフィーリ家:家名は戦後に養子縁組を続けて英国籍者に継承されましたが、それでも本家筋はかなり最近の2000年に途絶えた模様。館はドーリア=パンフィーリ財団の所有として、現在ドーリア・パンフィーリ美術館。

www.doriapamphilj.it

(11)Massimoマッシモ家:1000年以上の歴史を持ち、婚姻を通じて統一イタリア王国国王をはじめとする欧州各国の王族に縁を持つマッシモ家の館は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに面したマッシモ・アッレ・コロンネ宮殿。Privateです。普通に一家が暮らしています。列柱(コロンネ)が特徴的なポルティコを覗き込むだけにしましょう。

www.turismoroma.it

(12)Matteiマッテイ家:
ルネサンス期に繁栄し、マッテイ広場を中心とする5棟の建物群Isola dei Matteiなど多くを建設・所有していましたが、家系は19世紀初頭に絶えた模様。ミケランジェロ・カエターニ通りのマッテイ宮殿Palazzo Mattei di Gioveは、ガイドツアーで見学可能ですが、現在休止中の模様。

www.turismoroma.it

(13)Mediciメディチ家
1505年に建設、メディチ家本家滅亡後にロレーヌ家、ベネディクトゥス14世、バチカンと所有者を変え、イタリア王国成立により王国に取り込まれた後、上院議事堂になったマダーマ宮殿。

www.senato.it

 別荘ヴィラ・メディチ(在ローマ・フランス・アカデミー)は、オフィシャル・ゲストがいないときは一般客が宿泊可能との情報がありましたが、公式サイトからは消えているようです。

www.villamedici.it

(14)オルシーニ家:
マルケルス劇場上層の住宅部分、10年程前にオルシーニ家が買い戻し、居住中。

it.wikipedia.org

モンテ・ジョルダーノ通りのタベルナ宮はオルシーニが建てたものですが、⑴と同じくステファニーナ・アルドブランディーニさんがイヴェント会場として運営中。

以前ボマルツォのオルシーニ宮殿には入ったことがありますけども。
 
あ、これで15家系(ルスポリ家を除く)全部か。
 
他にも有名なローマの貴族では、

①Caetaniカエターニ家:Isola dei Matteiの1つ、マッティ・カエターニ宮殿は、カミッロ・カエターニ財団の本部としてカエターニ家が収集した芸術作品や本を管理しています。図書館として利用可能。

www.fondazionecamillocaetani.it

②Corsiniコルシーニ家:1898年イタリア王国に寄付、現在国立コルシーニ宮美術館。

barberinicorsini.org

③Della Rovereデッラ・ローヴェレ家:ホテル・コロンバスとして営業していましたが、生憎廃業。2020年から始まった発掘調査で中庭にネロ帝の劇場跡が発見されたことが2023年7月に発表されています。

www.hotelcolumbusrome.it

イタリア語ウィキペディアが早いです。

it.wikipedia.org

④Farneseファルネーゼ家:現フランス大使館、ガイドツアーで観覧可能。

visite-palazzofarnese.it

 

以上です。

ホテル・コロンバスが廃業したのが残念ですが、ルスポリ以外には寝泊まりできるところはありませんでした。やはり超絶貴重ですね。

一度は泊まってみるもんです、やっぱり。

 

や、長かった。

これにて番外編付き全20回に亘る旅行記完結です。

ウィーン&ローマ旅行記 番外Residenza Ruspoli Bonaparte 中編 館内見学

レジデンツァ・ルスポリ・ボナパルテナ館内見学】

この日12月9日土曜日、朝食と散策を終えて居室に戻っていた我ら、約束の10時にエントランス・ロビーに集合、オーナーのご案内で館内を巡りました。

私お名前を聴き取れませんでしたが、嫁によるとマリアさんです。

「ロビー」というものかどうか何とも言いかねますが、チェックイン・カウンターのようなものはありません。ただ少なくとも我々が入った客室の前室、来客控室と、オフィスなのか私邸部分なのか分かりませんがマダムが出入りする部屋への扉があるのです。

 

この宮殿は、1713年にフランチェスコ・マリア・ルスポリ‘Francesco Maria Ruspoli’(初代チェルヴェテリ公)(注1)が購入し、それ以来ルスポリ家のものになりました。

フィレンツェ出身のルスポリ家の紋章はぶどう。財を成した銀行業を売却してこのとき既に100年を経過しています。

 

嫁がマダムの説明(英語です)を聞き、英語力が怪しくて聞いても分からない私は同じ室内をウロウロして撮影。

このギャラリーは来客用の控室。
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天井画が派手です。
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ここが応接室ですね。マーブルの床が素敵。
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これは会議室/食堂でしょう。
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この宮殿を飾る多くの絵画は、フランチェスコ・マリア公の時代に、当時の多くの著名な画家により描かれました。
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これは代々のルスポリ家当主の書斎だったとか。

エントランス・ロビーに戻って来ました。

ロビーにあるカウンターは、ローマ教皇が来訪時に帽子を置くためにあるんだそうです。いっとき私がiPhone置きましたが、ちょっと畏れ多い行為でしたな。

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なお、紋章右側にはライオン。ライオンといえば英国王室などでよく使われる図像ですが、マダムはルスポリ家(厳密にはフランチェスコ・マリア公の祖父のマレスコッティ家)のルーツはスコットランドにあると仰っておりました。尚、ルスポリ家は武門の系譜だそうです。

 

ありがとうございました、マダム。

 

因みにマダムはマルチーズかな、飼い犬を抱き抱えていましたが、吠えない、動かない。実におとなしい犬でした。

まあ飼い主がいいんでしょうね、つまりあれだ、遊歩道とかで見掛けるその辺の犬は、やっぱり飼い主がアレなんだな。


夕暮れの回廊。
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【部屋に戻る】

時間は連続していませんけどね。

フランチェスコ・マリア公は、ジョヴァンニ・バッティスタ・コンティーニ‘Giovanni Battista Contini’(注2)に依頼して改装し、また多くの画家に依頼して装飾していますが、コンティーニの功績の1つが演劇アカデミーです。

ルスポリ家は、宮殿を街の中心的な社交場の1つとし、1700年代後半には豪華なパーティーで有名になったそうです。更にフランチェスコ・マリア公はここで有名な文学サロンを主催し、ホールでは評判の演劇が上演され、スカルラッティヘンデルなどの音楽家のアカデミーも有名でした。

 

ルスポリ邸には色々な客人が去来していますが、双璧の一方がヘンデル‘Georg Friedrich Händel’(注3)でした。文献毎の時期が合わないので何が事実か分からないところがありますが、約5年間のイタリア滞在のうち2年をローマのここで過ごしたとされており、オラトリオ「復活」の初演の場所はこの館だそうです。

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そしてもう一方が、この部屋の名前の由来である、後のナポレオン3世とその母オルタンス・ド・ボアルネ‘Hortense de Beauharnais’(注4)。

ナポレオン1世の皇后ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの先夫との間の子で、ナポレオン1世の弟ルイ・ボナパルト1802年初頭に結婚、ルイのオランダ国王就任(ホラント国王ローデウェイク1世)に際して王妃になったオルタンスは、ナポレオン1世百日天下が崩壊した後各地に亡命、幼少期のルイ=ナポレオン(後のナポレオン3世)とともにここルスポリ邸に滞在しました。

マダムの説明によると、「天井の高い部屋は寒い」というオルタンスの希望に応じて、高いイタリア格子天井を下げて天井画のあるフランス風の天井にしたそうです。この部屋が最も女性的ですね。
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天井が他の部屋より低い印象はない、というか客室では寧ろ一番高いと思いますが、ラウンドしている分だけリフォーム後の容積は減ったのかな。
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オルタンスは、この館に滞在した8年の間に、天井と壁を嘗て過ごしたパリのマルメゾン城の意匠で装飾したのだそうです。

もっと広くて天蓋付きのベッドがある部屋と、装飾がプリンセスなこの部屋、どっちを嫁が喜ぶか私は結構悩んで決定しましたが、嫁は断然こっちだったそうです。

 

レギュラープライス27万円@1泊。

residenzaruspolibonaparte.com

レギュラープライス29万円@1泊のSuite Imperatore Bonaparte。

residenzaruspolibonaparte.com

レギュラープライス25万円@1泊のSuite Napoleone。

residenzaruspolibonaparte.com

他2室の写真はオルテンシア・スイートと共有している前室の写真が入っていたり、2室のどちらにも同じリビングルームの写真が使われていたりと、実態どういう感じなのか分かり難いです。

 

これで念願のResidenza Ruspoli Bonaparteに宿泊しました。念願した部屋で。

レギュラープライスがいつ適用されるのかはよく分かりませんが、ざっくり10万円@1泊ルームチャージでした。

滞在中の利便性は立地からして極めて高いですが、

  • 入口はわからないわ、
  • 夜中は人がいないからトラブっても頼れないわ、
  • 広過ぎて暖房追い付かなくて寒いわ(ヒーターを追加して2台にしてもらいましたが、2台使用では他の電気機器を切らないとブレーカーが上がる)、
  • 今も謳っているのに部屋での優雅な朝食はできなかったわ(これは改善して欲しいぞ。問題はキッチンでなくメール/メッセージへの応答体制かもしれませんが)、
  • WhatsAppのメッセージに反応がないと身動き取れないわ、

ホテルとしてのアメニティを期待したら色々足りません。

というかB&Bです。Bが1つ足りないので、私は「民泊」と言っています。

ホテルのサービスを期待するなら、期待する方が悪いです。

 

しかし❗️

 

いいのです、そんなことは。

 

宮殿です。

紛れもない名門貴族の邸宅です。

日本でなら登録文化財どころか指定文化財重要文化財確実の、ルネッサンスバロックの歴史的建造物です。

その豪華な一室です。

しかもオルタンス元王妃とシャルル・ルイ=ナポレオンが滞在した部屋です。

この体験そのものがスペシャルなのです。

200年前なんて色々不便に決まってるじゃないですか。

多少の不便は仕方ないものと甘受して当時の栄華を偲ぶのです。

そういう人にはサイコーです。

1泊ウン十万円払ってもホテルでは体験できません。

いやー、よかった。

嫁的にも史上最高、ダントツ最高だったそうです。

それが1泊10万くらい。

安いくらいです。

本当によかった。

まあ2回3回泊まるとこではないかもしれませんが、ホント貴重な体験でした。

 

日頃参照していないので、今回も事前には読んでいませんが、ミシュラン・ホテルガイドでも紹介されていました。

guide.michelin.com

 

以上歴史に関連する説明は、主に館の前の説明板byローマ市(イタリア語・英語)、人物解説についてはインターネット、ルスポリ家についてはマダムの解説などをミックスし、私がある程度体裁のつく日本語にしました。一次資料には当たっていないので、時期の不一致など気付いているものもあるのですが、追究していないので適当に捨象しています。

 

ルスポリ家とマレスコッティ家については、英語版ウィキペディアに詳細に記載されています。

en.m.wikipedia.org

これによると、第10代チェルヴェテリ公フランチェスコ・ルスポリ氏(マダムのお父君だと思います)は現在もここにお住まいだそうです。

 

注1:「Principe」は必ずしも王子でなく「小国君主」「領主」「大御所」などあり、私は「領主」から「公」と訳しました。この方は、ミドルネームに「マレスコッティ」を持っており、祖父スフォルツァ・ヴィチーノ・マレスコッティ(ヴィニャネッロとパラーノの第4代伯爵)の姓。一人っ子だった祖母ヴィットリア・ルスポリのため、孫にルスポリの名を残した。

注2:シエナ/ローマ・バロック最終期の中心人物で、サラゴサ大聖堂の塔をはじめ、教皇領とナポリ王国に多くの作品を残している。
注3:ドイツ/バロック期の有名な作曲家ヘンデルのこと。
注4:ナポレオン1世の皇后ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと離婚した先夫アレクサンドル・ド・ボアルネ子爵との娘。義父ナポレオンの強い希望により彼が最も可愛がっていた弟のルイ・ボナパルト1802年初頭に結婚し、義父ナポレオンが1804年フランス皇帝に即位した後の1806年にルイがオランダ国王に即位したのに伴って王妃になった。不仲のルイとオルタンスは1810年に離婚し、2人の間に生まれた3人の息子のうち、三男のシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト(後のナポレオン3世)はオルタンスが引き取った。オルタンスは、離婚後に同棲していたシャルル・ド・フラオとの間で、1811年にルイ=ナポレオンの異父弟シャルル・オギュスト・ルイ・ジョゼフ(後のモルニー公爵)を生んだが、1815年の百日天下期にはナポレオンに先んじてテュイルリー宮殿に入って女主人の役目を務め、フランス帝国崩壊後にドイツ、イタリアに亡命、その後スイスにアレネンベルク城を購入し、そこで没した。

ウィーン&ローマ旅行記 番外Residenza Ruspoli Bonaparte 前編 宮殿の歴史

ここから番外編3回。

 

ローマ教皇から称号(ローマ到着時の記事に「氏姓」と書きましたが、正しくありませんでした。訂正。)を賜った名門15貴族のうちの1つ、ルスポリ家。

トリノを拠点とするサヴォイア家によるイタリア王国の建国=ヴァチカンを含むイタリアの統一に抗した所謂「黒い貴族」の一員でもあります。

フィレンツェ出自という点ではメディチ家と同じですが、ボルゲーゼとかコロンナとかオルシーニとかに比べると知られていないように思われるのは、ローマ教皇を出していないところが大きいんでしょう(注1)。

 

ここパラッツォ・ルスポリ・ボナパルテは、そのルスポリ家の館(中央のデカい建物、因みに右に隣接するFENDIのローマ旗艦店で、また左奥ルスポリ宮のサン・ロレンツォ・イン・ルチーナ広場に面した側にはルイ・ヴィトンのメゾン店エトワールがあります)の一部を所謂民泊として開放しているものです、という話を書きました。

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「Palazzo」は一般的な訳では「宮殿」です。少なくともイタリアでは宮様、ローマ帝国後はキリスト教が支配したローマでは寧ろ教皇ですが、それらが居住しなくとも貴族の大邸宅はPalazzoです。

貴族はどっかしらの領主、「殿様」である場合が大概だし、特に教皇の権威を持つ貴族の館なので、「宮殿」も強ち嘘とも言えません。

 

この館は、フランチェスコ・ジャコビリ’Francesco Jacobilli’(注2)の依頼により、ナンニ・ディ・バッチョ・ビジオ'Nanni di Baccio Bigio'(注3)が1556年に竣工しました。

1583年にオラツィオ・ルチェライ‘Orazio Rucellai’(注4)が購入し、拡充とバルトロメオ・アンマナーティ’Bartolomeo Ammanati’(注5)によりルネッサンス様式で再設計されて概ね現在の姿になったのが、1586年。

サイズ感が分かり難いですが、ドア足元両側の窓(縦長のでなく正方形の)の上辺の高さでが180cmくらいあるので、ドアの高さで4mくらい。

1629年に宮殿を購入したルイージ・カエターニ枢機卿は、バルトロメオ・ブレッチョーリ‘Bartolomeo Breccioli’(注6)と小マルティーノ・ロンギ‘Martino Longhi il Giovane’(注7)に幾つかの増改築作業を依頼しました。

初めの写真の通り、厳格なルネッサンスどころかバロック様式ファサードは、ブレッチョーリによる改修でしょう。

また、ロンギにより1640年頃製作された、3mの長大な大理石板による100段の階段は、ローマの民間建築4大驚異(注8)の 1 つとされています。

そんな凄い歴史を持つ階段ですが、まあ2階、あちらで言うと1階がすごく高いので、

私は400年の歴史を蹴飛ばして駆け上がりますが、スーツケースのあるチェックイン/アウト時と嫁の上りは、この頼り無さげなエレベーターです。

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あちらでは教会の塔等にも「これ大丈夫か?」的なものが往々にしてありますが、自分で扉を閉めて乗るエレベーター、私は好き。

これはも1つ上、3階の回廊だったかな。

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この邸宅を最も特徴付ける階段、観光名所ではないので擦り減ってはいませんが、400年の間に少なくとも1枚割った奴がいるようです。
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ルチェライの回廊。ヴォールトには、ローマ皇帝の胸像が展示されています。

全部は見ませんでしたが、ローマの歴史から取られた美徳の例とそれぞれの悪徳や美徳を擬人化したそうで、「後期マニエリスムに典型的な知的で難解な象徴主義に彩られた、複雑な図像的な一連の作品」だそうです。私にはよく分かりません(1588年頃)。

この階段と回廊には、ルネッサンス建築の特徴がよく残っています。

 

【SUITE QUEEN ORTENSIA BONAPARTE】

我らの居室の前室です。

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我らの部屋の扉と、別の部屋の扉(背が高い)があります。ホテル営業しているのは4室ですが、多分ここから出入りできるのが2室、もう2室はロビーから別の扉を通るか(迷路みたいなので確証持てませんが違うみたい)、別の階じゃないかな。
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こういう格子状の縁取り装飾のある天井は、バシリカ以来の伝統的イタリア式ですね。

 

我らが宿泊したクイーン・オルテンシア・ボナパルテ・スイート'SUITE QUEEN ORTENSIA BONAPARTE'。

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後のナポレオン3世の母である元オランダ王女オルタンス・ド・ボアルネ(部屋名はイタリア語読み、名前はフランス語読みしましたが、その辺は後述)の名を冠した2室110㎡・1キング+2シングルの定員4名のスイートは、4室中3番目に広く2番目に高価な部屋です。主寝室はここが1番広く、ローマ帝国期のような上品な図柄のフレスコ画天井をはじめ、室内装飾は最も秀麗だと思います。

バンケットに使用されている写真もあるので、主には居室でなくホールとして使われていたのかもしれません。

うちの2基を足したより多い12灯のヴェネツィアン・グラスのシャンデリアがうらやますぃ。

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入口を内側から見た図。

因みに一面の壁の装飾はペイントです。流石にカラーマーブルのモザイクを貼っている訳ではありません。

バスタブなどは普通です。浴室が大理石貼りなのもヨーロッパのこのクラスなら普通です。

副寝室は、写真では凄く良く見えますが、どうかな、ビジネスホテル・レベルです。バス・トイレが近いとか、スーツケースどころかルイ・ヴィトンのトランク何日分も収納できる巨大なクローゼットとか、まあ如何にも次の間、侍女部屋、女中部屋。

2人旅の我らにとっては、ただのクローゼットでしたけども。

迷路のような邸宅ですが、中庭との位置関係からどこにいるか分かりました。

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注1:ルーツの1つマレスコッティ家からは枢機卿が出ている。

注1:カラーラの貴族と思われるが、今回登場人物についてそれなりに調べた中では特定できず。

注2:フィレンツェ出身/サンタンジェロ城改修、ヴィラ・メディチ、ポポロ門を手掛けた主に建築に実績のある芸術家。

注3:フィレンツェ出身/解説板にはメディチ家とフランスの外交官を務めていたと書いてある。

注4:フィレンツェ出身/ピッティ宮殿、ヴィラ・ジュリア、ネプチューンの噴水(フィレンツェ)で知られる芸術家。

注5:ペーザロ出身/ガンドルフォ城、サンタマリア・デッラ・ヴィットーリア教会などを手がけた建築家。

注6:ローマ出身/ベルニーニらに並ぶバロックの代表的な建築家。サンタントニオ・ディ・ポルトゲージ教会及びサンティ・ヴィンチェンツォ・エ・アナスタシオ教会の特徴的なファサードが知られる。

注7:「ローマ民間建築の4大驚異」

⑴ボルゲーゼのチェンバロチェンバロ(英語でいうと‘chamber’)=会議場ということでなくボルゲーゼ宮殿(ボルゲーゼ公園のそれ(ボルゲーゼ美術館)でなくルスポリ宮殿近くにある、ボルゲーゼ家本拠地のボルゲーゼ宮殿)。テヴェレ川側入口部の形状がチェンバロに似ているので、そう呼ばれたらしい。

romeguides.it

ファルネーゼのサイコロ:現フランス大使館のファルネーゼ宮殿はその大きさと形ゆえこのように呼ばれた。一般開放されていない代わりにWebで館内の美術品や装飾を展示している。

visite-palazzofarnese.it

⑶ルチェライの階段

⑷シャッラ・コロンナ宮殿の「カルボニアーノの扉」:コルソ通りのPalazzo Sciarra Colonna Carbognanoの巨大な扉。同じ区画内で背中合わせに建つ19世紀のガレリア・シャッラの方が少なくとも今は有名。

ウィーン&ローマ旅行記 10日目finale 帰国

12月11日、10日目最終日です。

 

【帰国】

9時55分頃、成田着陸。

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今回の旅初めて定刻でした。

ローマからチューリッヒの便もほぼ定刻だったし、流石時計の国スイス、日本の7割くらいは信頼して良さそうです。

 

シンガポール旅行の際に酷い目にあった検疫はもはや無いに等しく、入国審査もスムーズ、初めて相見える端末の操作に苦労して税関を通過しました。

 

が、その後バゲージトラブルで暫く留め置かれ、完全フリーになったのはバス乗車25分前でした。

この日はただ帰るだけだったので移動が楽なバスを予約し、着陸から2時間強空港で時間を潰すことになっていましたが、NEXで直ぐ発つようなアクションに出ていたらもっと大変でした。

航空会社/空港でなく主に自分が原因ですが、まさか同じサイズのリモワLimboが同じ便のPriorityタグを付けて3個も出てくるとは思いませんでした。

帰った後早速ステッカー貼りましたよ。

 

最後までトラブルの尽きない旅でした。

 

新浦安駅からはタクシー。

新浦安エリアと都心部にはたくさん走っているのに荷物抱えては初めてかもしれないトヨタ・ジャパンタクシーに乗り、ちょっと幸せ。似たようなカッコで転入間も無く退役したPTクルーザーには乗れませんでしたが、あれは所詮クライスラー、ビジネスに使える代物ではなかったようです。

家まで1,000円しません。ああ、日本は物価安いな。

 

財布や書籍など純私物を除く戦利品はこちら。

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ウィーンだから買いたいってのはJulius Meinlのコーヒーくらいで、あとはローマだから買いたいってのもないので、シシィ・チョコレートとモーツァルト・チョコレート他ほぼウィーンでの土産菓子。
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でもジャンドゥーヤを日本に紹介した(とは言い過ぎですが、20年以上前からお土産菓子にしていた)我らとしては、今回カルフールエクスプレスで買ったジャンドゥーヤは美味しくなかったぞ。

 

【総括】

旅行日数:8泊10日

航空機クラス:エコノミー

ホテルクラス:☆4〜☆5

新規訪問国:0

新規訪問都市:ウィーン1市

新規訪問世界遺産オーストリア2件

(支出)

航空券:26万円(サーチャージだけです)、12万マイル

宿泊:72万円(ウィーンがざっくり1泊8万円、ローマがざっくり1泊10万円)

上記と入場チケット、食事等合わせた旅行費用総額:約140万円

未実現重要目的:ウィーン国立歌劇場でのオペラ鑑賞

 

要ウィーン再訪。

 

日本人としてはかなり厳しい費用です。

 

特典予約の飛行機は全然タダではありません。

 

そしてホテル代が高いです。嘗ての旅行の記憶からは超高級(☆5L)は別として、☆5が5万円台、☆4が4万円台、☆3が3万円台イメージなのですが、話になりません。☆5は10万円が普通、グランドホテル・ウィーンは寧ろ例外なくらいです。

海外は遠くなったな、というのがこの旅行を締めた時の感想。

が、その後国内旅行(この間のとかGWとか)のためのホテル探しをしていて、アウトバウンドだけの問題でないことを痛感しました。

国内宿泊は、帝国ホテルのインペリアルフロア海外VIP御用達プレミアムデラックススイート200万円みたいな特殊なのを除くと「箱根富士屋ホテルのヘリテージルーム菊1泊18万円が最高峰」くらいに何となく&ずーっと思っていたのですが、今調べると、高級どころでルームチャージ18万円はザラ、全然珍しくありませんでした。まあ18万円が当たり前とまでは言いませんが、10万円は楽に超えますね。

うん、海外と変わんないじゃん。

いいとこは外国人からガッツリ取れる値段にすっかり変わってたのね。

うちは所謂パワーカップルに相当するはずですが、☆5はかなりキツイ…。

貧しい日本人には厳しいです。

実は国内も遠いのでした。

 

溜息で終わりそうですが、旅行記はこの後番外編へと続くのでした。

嵐の平日はzwift50分、24km

今朝は起きたら雨、強めの雨。

 

今日は仕事時間確保のため在宅勤務にしていまして。

在宅勤務は通勤時間がない分、仕事の時間は確保できるのですが、13インチのノートPCでは情報量が限られ、能率はオフィスより上がりません。

流石に私もいい歳なので、流石にディスプレイが要るかな、と思って在宅勤務用にアイリスオーヤマの24インチのディスプレイを買ったのが3月初め。

USB-Cによるディスプレイ接続と給電、なるべく小さい上下サイズとVESAマウント対応という基準に適合しました。

しかし解像度はフルHD。画面は大きくなりましたが、表示される情報量は13インチのノートパソコンと同じ。能率は上がらず、無駄に大きな文字を見せられても却って違和感が大きいので、その1週間後には同じ24インチながらWQHDと情報量で1.8倍のLGに変わりました。

両方ベゼルが細く天地も低いところがいいのですが、アイリスの方が筐体が丈夫で、裏面の直線的なデザインは、新しく見えます。

高さの制限ある場所に設置するためVESAスタンドを買ったのですが、アイリスの裏面にはきれいにマウントできたのに対して、LGは100×100のプレートが収まらずにグラグラするし。

何でこれかというと、上述基準に適合する24インチWQHDモデルがこれしか見つからなかったからです。これに尽きます。

WQHDであるという点を除けば、アイリスの方がいいです。

まあ解像度がゆえに買い替えた訳ですが。

僅か1週間、といって届いてから開封するまでの期間や在宅勤務日数の関係でアイリスのディスプレイは実際に20時間程しか使用していませんでしたが、嫁の在宅勤務用ノートPCに接続されました。

でも流石WQHD、画面が広い(情報量が多い)です。仕事の能率が上がりました。これになって以来、在宅勤務が増えました。

最初からこういうの買っておけばよかったよ。

 

さて。

 

朝雨が降っていたことは上述、その後は全然外も見ていませんでしたが、お昼ご飯を食べようとリビングに出て外を見たら、雨はザーザー降ってるわ、風も強いわ、嫁曰く京葉線は止まっていたわ、すんごい酷かったのね。

桜も満開の個体は一気にやられました。

 

全く気付きませんでした。

 

午後一か夕方ランニングでも、とか思っていましたが、冗談じゃかなったぞと。

 

ということで普通に仕事し、若干早めに終わって21時過ぎになりました。

外走る程じゃないけど、運動しよう。

 

zwiftです。先月に続いて今月も乗ります。月1回乗っているので、1回1500円相当まで値下がりしましたね。

 

今日のメニューは、WatopiaとスコットランドとMAKURI Island。

スコットランド、The Muckle Yin in Scotland 23.4kmを選択。

 

大汗かくのを回避するため、サーキュレーターを回し、踏み込みは弱め。

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エディンバラをモデルにしているのかグラスゴーをモデルにしているのかは分かりませんが。
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コースコンプリートに気付かずに2周目に入っていたので、止めましょう。
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24.42km、49分42秒、+285m、401kcal、141w。


ああ、日付が変わったからもう寝よう。

ウィーン&ローマ旅行記 9日目 初航路は視界不良、残念‼️

9日目12月10日日曜日、ここからは復路なので、実質最終日です。

 

鍵と観光税(☆4×3泊×2人)€45とレイトチェックインの追加チャージ€20を置いて部屋を出ました。

 

【送迎ハイヤー

朝6時40分、FENDIの前にファブリツィオさんの車が駐車中、本人は間も無く姿を現しました。今回もトランスファー・サービス・ローマ(TAローマの交通機関697件中52位)。

www.transferservicerome.com

どーしてもローマ到着時の状況が気になって前日にコンタクトしたら、案の定ブックされていない扱いだったので、改めてブックしましたよ。

彼が悪いのか、彼の会社が悪いのか、トリップアドバイザーの予約システムが悪いのか(フォームを出しているのは彼かもしれませんが)。

料金は€77、タクシーの約5割り増しですが、タクシーも乗車までの面倒とか荷物とか、ハイヤーに比べると面倒があるし、車のグレードが違うので、これ自体はいいんですが。

移動は快適です。速いし。腑に落ちないコミュニケーションがあった以外は、高いお金払うメリットはあります。なのでお客様の嫁にはいいことばかりでした。

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【チェックイン〜タックスリファンド】

ターミナル1、チェックインでは2便とも座席が前方に変更されました。

バゲージドロップを済ませ、タックスリファンドへ。

 

タックスリファンド(出国前)

チェックインカウンターの奥に端末があります。

Global Blueの嫁は専用端末で手続き、誰に購入商品を見せることもなくすぐ終了。

私の使うPlanet Payは端末故障中。なんか作業していて、ボックスには職員がいますが、手続きをしてくれず、中でやれと言われるので、手荷物検査を受けて出発ロビーに移動しました。

 

手荷物検査では、持ってきた水を捨てずにバッグに入れたまま持ち込み。国によって違い、ボトルの中身を個別に検査する日本でも捨てませんが(国内線か、それは)、ローマはスルーなのか出さずに検査するのか不明。

 

タックスリファンド(出国後)

搭乗口と反対方向なので心配になりますが、手荷物検査後のショッピングエリアの先の税関カウンターで手続きしました。スタンプなし、職員がシステムで入力して、これもさっさと終了。

時期がよくてローマを発つにしては全体として時間掛からなかったので、まあよし。

【ラウンジ】

全くスムーズにいったという訳ではありませんが、今回の旅行で初めて空港でそこそこ纏まった時間ができたので、ラウンジを利用ました。

プライムクラスラウンジじゃないかな。T3との違いかプラザプレミアムラウンジとの違いか、カフェを入れてくれるバリスタはいないし、パスタもない、狭いので人は多いが些かコンテンツには寂しさを混じるラウンジでした。

が、ソーセージとハムとクロワッサンとジュースとLAVAZZAのカプチーノが美味いです。イタリア🇮🇹の食は、空港ラウンジでも磐石でした。但しパスタがないのと、ビスコッティは不味かった分は減点。まあしっかり食事するには羽田や成田の方がいいですね。

あとラウンジが遠いです。搭乗口からすごく遠いです。30分滞在で搭乗口に行きましたが、搭乗口で時間を大分余しました。

 

フライト:LX1727(ローマ→チューリッヒ

9時40分発1時間20分のフライト。機材はスイス航空でなく系列のバルチック航空でした。

機内で供されたのは、小1本の水とチョコレートだけ。

遠くコルス島等を眺めながらティレニア海を北上する搭乗機は、

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アペニン山脈最北部から再度陸地上に入り、
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湖水地方から愈々アルプス。
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しかし北イタリアからは雲がちになってきて、
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陽光眩しいイタリアから、
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厚い雲に覆われたスイスに入り、マッターホルンが見えるのではないかという期待は潰えました。
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搭乗機はほぼ定刻に着陸、時計の国のスイス人🇨🇭、仕事の精度は日本人に近いレベルありそうです。

 

フライト:LX160(チューリッヒ→成田)

以前スイスを訪ねた際に入ったのはジュネーブ、今回が初チューリッヒ

ここでシェンゲンから出国。着陸から離陸まで1時間40分、乗換時間は短いです。

愛想が著しく悪い男性職員の窓口に並んで他より大分速く出国審査を終え、1駅地下鉄でターミナルEに移動、ラウンジの滞在時間15分で出発30分前から搭乗口待機しました。

が、実際の搭乗開始は定刻15分前で、待つ場所がなくて苦労しました。それでも我らがLX160便は、10分ほど遅れて駐機場を離れました。

 

今度の水は、大1本。

水が増えます。

 

今回の旅で初めて機内が結構空いていたのですが、最後尾近くの席から前に変わった我ら、お陰でABC3席とも埋まる並びのABになりました。

目的地成田では十分時間があるので、我が家的には別に最後尾でもいいのですが。

嫁の座ったB席のエンターテイメント機器が壊れていまして。

嫁が再三アピールしても(言われて再起動したのかもしれませんが)一向に改善せず。離陸から大分経ってから漸く座席移動が認められた嫁は、1人しか座ってない真ん中4人席に移動していきました。私は他人とAC並びになりました。何だかな。

まあ彼らのやることは、少なくとも顧客の意向とは別の動機があると考えることです。

 

東進から黒海手前で北に針路を取るらしいスイス航空、ウクライナ🇺🇦・ロシア🇷🇺上空を飛ぶのかしら?シェンゲンには入っていても中立国だからなあとか思っていましたが、ルーマニア黒海上空で針路を変えることなく黒海を横切り、

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カスピ海を横切り、アラル海を横切ってひたすら東進しました。まだ見ぬスタン国から東トルキスタン(私は敢えてこう呼びたい派)を通過、
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更には北京を通過して航路図上の針路は平壌上空。

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初の北朝鮮上空か⁉️との期待も膨らみましたが、当然そんなことはなく、搭乗機は針路を南に変え、ソウル上空を通過して日本列島上空に向かいました。

それよりも、黒海に差し掛かった辺りから成田までずーっと雲の上で、折角の昼フライトなのに、時折窓の外を見ても何も見えませんでしたね。初めてではありますが楽しみなものはタクラマカン砂漠くらいしさそうな経路だったので、寝る私には丁度良かったですが。