甘く香るか青いバラ

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ウィーン&ローマ旅行記 番外Residenza Ruspoli Bonaparte 前編 宮殿の歴史

ここから番外編3回。

 

ローマ教皇から称号(ローマ到着時の記事に「氏姓」と書きましたが、正しくありませんでした。訂正。)を賜った名門15貴族のうちの1つ、ルスポリ家。

トリノを拠点とするサヴォイア家によるイタリア王国の建国=ヴァチカンを含むイタリアの統一に抗した所謂「黒い貴族」の一員でもあります。

フィレンツェ出自という点ではメディチ家と同じですが、ボルゲーゼとかコロンナとかオルシーニとかに比べると知られていないように思われるのは、ローマ教皇を出していないところが大きいんでしょう(注1)。

 

ここパラッツォ・ルスポリ・ボナパルテは、そのルスポリ家の館(中央のデカい建物、因みに右に隣接するFENDIのローマ旗艦店で、また左奥ルスポリ宮のサン・ロレンツォ・イン・ルチーナ広場に面した側にはルイ・ヴィトンのメゾン店エトワールがあります)の一部を所謂民泊として開放しているものです、という話を書きました。

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「Palazzo」は一般的な訳では「宮殿」です。少なくともイタリアでは宮様、ローマ帝国後はキリスト教が支配したローマでは寧ろ教皇ですが、それらが居住しなくとも貴族の大邸宅はPalazzoです。

貴族はどっかしらの領主、「殿様」である場合が大概だし、特に教皇の権威を持つ貴族の館なので、「宮殿」も強ち嘘とも言えません。

 

この館は、フランチェスコ・ジャコビリ’Francesco Jacobilli’(注2)の依頼により、ナンニ・ディ・バッチョ・ビジオ'Nanni di Baccio Bigio'(注3)が1556年に竣工しました。

1583年にオラツィオ・ルチェライ‘Orazio Rucellai’(注4)が購入し、拡充とバルトロメオ・アンマナーティ’Bartolomeo Ammanati’(注5)によりルネッサンス様式で再設計されて概ね現在の姿になったのが、1586年。

サイズ感が分かり難いですが、ドア足元両側の窓(縦長のでなく正方形の)の上辺の高さでが180cmくらいあるので、ドアの高さで4mくらい。

1629年に宮殿を購入したルイージ・カエターニ枢機卿は、バルトロメオ・ブレッチョーリ‘Bartolomeo Breccioli’(注6)と小マルティーノ・ロンギ‘Martino Longhi il Giovane’(注7)に幾つかの増改築作業を依頼しました。

初めの写真の通り、厳格なルネッサンスどころかバロック様式ファサードは、ブレッチョーリによる改修でしょう。

また、ロンギにより1640年頃製作された、3mの長大な大理石板による100段の階段は、ローマの民間建築4大驚異(注8)の 1 つとされています。

そんな凄い歴史を持つ階段ですが、まあ2階、あちらで言うと1階がすごく高いので、

私は400年の歴史を蹴飛ばして駆け上がりますが、スーツケースのあるチェックイン/アウト時と嫁の上りは、この頼り無さげなエレベーターです。

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あちらでは教会の塔等にも「これ大丈夫か?」的なものが往々にしてありますが、自分で扉を閉めて乗るエレベーター、私は好き。

これはも1つ上、3階の回廊だったかな。

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この邸宅を最も特徴付ける階段、観光名所ではないので擦り減ってはいませんが、400年の間に少なくとも1枚割った奴がいるようです。
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ルチェライの回廊。ヴォールトには、ローマ皇帝の胸像が展示されています。

全部は見ませんでしたが、ローマの歴史から取られた美徳の例とそれぞれの悪徳や美徳を擬人化したそうで、「後期マニエリスムに典型的な知的で難解な象徴主義に彩られた、複雑な図像的な一連の作品」だそうです。私にはよく分かりません(1588年頃)。

この階段と回廊には、ルネッサンス建築の特徴がよく残っています。

 

【SUITE QUEEN ORTENSIA BONAPARTE】

我らの居室の前室です。

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我らの部屋の扉と、別の部屋の扉(背が高い)があります。ホテル営業しているのは4室ですが、多分ここから出入りできるのが2室、もう2室はロビーから別の扉を通るか(迷路みたいなので確証持てませんが違うみたい)、別の階じゃないかな。
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こういう格子状の縁取り装飾のある天井は、バシリカ以来の伝統的イタリア式ですね。

 

我らが宿泊したクイーン・オルテンシア・ボナパルテ・スイート'SUITE QUEEN ORTENSIA BONAPARTE'。

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後のナポレオン3世の母である元オランダ王女オルタンス・ド・ボアルネ(部屋名はイタリア語読み、名前はフランス語読みしましたが、その辺は後述)の名を冠した2室110㎡・1キング+2シングルの定員4名のスイートは、4室中3番目に広く2番目に高価な部屋です。主寝室はここが1番広く、ローマ帝国期のような上品な図柄のフレスコ画天井をはじめ、室内装飾は最も秀麗だと思います。

バンケットに使用されている写真もあるので、主には居室でなくホールとして使われていたのかもしれません。

うちの2基を足したより多い12灯のヴェネツィアン・グラスのシャンデリアがうらやますぃ。

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入口を内側から見た図。

因みに一面の壁の装飾はペイントです。流石にカラーマーブルのモザイクを貼っている訳ではありません。

バスタブなどは普通です。浴室が大理石貼りなのもヨーロッパのこのクラスなら普通です。

副寝室は、写真では凄く良く見えますが、どうかな、ビジネスホテル・レベルです。バス・トイレが近いとか、スーツケースどころかルイ・ヴィトンのトランク何日分も収納できる巨大なクローゼットとか、まあ如何にも次の間、侍女部屋、女中部屋。

2人旅の我らにとっては、ただのクローゼットでしたけども。

迷路のような邸宅ですが、中庭との位置関係からどこにいるか分かりました。

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注1:ルーツの1つマレスコッティ家からは枢機卿が出ている。

注1:カラーラの貴族と思われるが、今回登場人物についてそれなりに調べた中では特定できず。

注2:フィレンツェ出身/サンタンジェロ城改修、ヴィラ・メディチ、ポポロ門を手掛けた主に建築に実績のある芸術家。

注3:フィレンツェ出身/解説板にはメディチ家とフランスの外交官を務めていたと書いてある。

注4:フィレンツェ出身/ピッティ宮殿、ヴィラ・ジュリア、ネプチューンの噴水(フィレンツェ)で知られる芸術家。

注5:ペーザロ出身/ガンドルフォ城、サンタマリア・デッラ・ヴィットーリア教会などを手がけた建築家。

注6:ローマ出身/ベルニーニらに並ぶバロックの代表的な建築家。サンタントニオ・ディ・ポルトゲージ教会及びサンティ・ヴィンチェンツォ・エ・アナスタシオ教会の特徴的なファサードが知られる。

注7:「ローマ民間建築の4大驚異」

⑴ボルゲーゼのチェンバロチェンバロ(英語でいうと‘chamber’)=会議場ということでなくボルゲーゼ宮殿(ボルゲーゼ公園のそれ(ボルゲーゼ美術館)でなくルスポリ宮殿近くにある、ボルゲーゼ家本拠地のボルゲーゼ宮殿)。テヴェレ川側入口部の形状がチェンバロに似ているので、そう呼ばれたらしい。

romeguides.it

ファルネーゼのサイコロ:現フランス大使館のファルネーゼ宮殿はその大きさと形ゆえこのように呼ばれた。一般開放されていない代わりにWebで館内の美術品や装飾を展示している。

visite-palazzofarnese.it

⑶ルチェライの階段

⑷シャッラ・コロンナ宮殿の「カルボニアーノの扉」:コルソ通りのPalazzo Sciarra Colonna Carbognanoの巨大な扉。同じ区画内で背中合わせに建つ19世紀のガレリア・シャッラの方が少なくとも今は有名。