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ロイヤルオペラ「オテロ」

昨日は、秋のコンサート・シーズン我が家的開幕。

 

横浜市のあまり行かないエリア、山下町の神奈川県民ホールにやってきました。

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ホールとしては古い施設なので、足元は超絶に狭く、座面のクッションも金属バネ感ありありという厳しい低品質座席でしたが、山下公園に面した立地、ロビーからの眺めはいいです。ほぼ最後部座席の恩恵www。

私はかなり久し振りですが、先月末この近所で1週間泊まり込みで仕事していた嫁には、久し振り感皆無でした。

 

“ロイヤル・オペラ”コヴェント・ガーデン王立歌劇場の日本公演。アントニオ・パッパーノ指揮、ヴェルディ作曲・歌劇「オテロ」です。

86年に公開されたゼフィレッリ監督/マゼール指揮スカラ座管/ドミンゴの豪華絢爛オペラ映画は、映画館で見ました。

 

ワーグナーの影響を受けたとされる作品なので、ワグネリアンにとっては最も親しみ易い作品とされているのではないでしょうか、一般には。

 

ごく要約すると、「騙されて妻の不貞を疑った将軍が妻を殺害し、真相を知らされた後に後悔して自死する」という、シェイクスピアのしょうもない戯曲(注1)が原作です。

それをかつてワーグナーに心酔していたボーイトが、劇作に弱いヴェルディのために台本にしたにも拘らず、ヴェルディがしょうもない音楽を付けてしまったという作品です。どの辺がしょうもないかというと、ただ猜疑に駆られた心情を歌うタイトルロールに、“tenor dramatico”を持ってきている点。将軍の威厳も英雄の勇敢さもないのに。“lilico”で十分、ローエングリンジークフリートの“helden tenor”と同義のつもりで聴こうとするうちは違和感は消えません。そして、2.5管相当のオーケストラが繰り出す音は、アイーダよりは厚くダイナミックですが(3管のローエングリンより薄い)、音楽と演劇の融合(楽劇化)の結果歌唱が埋没し、イタリア・オペラの真髄たる旋律が冴えません。

一般には後期の傑作とされていますが、私は迷作だと思います。ワーグナーと同じ土俵で勝負にいって玉砕した印象。

ワーグナーワーグナーヴェルディヴェルディ。ドラマティックなテノールと音楽劇としての充実、旋律が謡うヴェルディらしさでは、「イル・トロヴァトーレ」を薦めます。

 

長い脱線でした。

 

オーケストラは、在任期間歴代最長に差し掛かっている生粋のオペラ指揮者アントニオ・パッパーノが振るタクトへの反応の良さが印象的。緊張感ある、でも人物の心裡をクールに紡ぎ出した演奏でした。(ピットの中は暑かったらしく、コントラバス隊以外の殆どは第3幕前にジャケット脱いでいましたけども。)

キース・ウォーナーの演出も、過激に走らない(注2)象徴的な舞台で、音楽に没入できます。個人的には好みでした。因みに(ムーア人という設定の)オテロは白かった。

充実した歌手陣の中でも良かったのは、ヤーゴのジェラルド・フィンリーとデズデモナのフラチュヒ・バセンツ。フィンリーは、オテロ を陥れる悪人振りを遺憾なく発揮。見事な影の主役振りでした。この公演が日本デビューとなる新鋭ソプラノ、といってもこのクラスの劇場で主役級(「オテロ 」におけるデズデモナは、ヒロインでなく脇役その1ですが)を張る以上、無名の原石ではありませんが。第1幕、クンデとの「愛の二重唱」は個人的には特にピンとは来ませんでしたが、第4幕の「柳の歌」以降がよかった。抗することのできない運命の波に飲み込まれていく当惑と悲しみを切実に歌い上げていました。何より美声です。特に弱音が美しいです。今後期待していいと思います。

当代最高のオテロ歌手(注3)グレゴリー・クンデは、きっと彼の水準には達していなかったように思うのですが、採点厳しいでしょうか。

細かい注文を付けるとそういうことですが、やっぱりメジャー・オペラハウスは、演奏は勿論ですが、歌手がいいです。ソロから合唱まで。元の音楽は破綻していても、いい演奏聴けました。

 

パンフレット1冊 金 3,000円也。

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もう1つの演目「ファウスト」と共通です。

 

NBSは、来年スカラ座、再来年ウィーン国立歌劇場を呼びます。会員はもうチケット買えるそうです。あー、それじゃあぴあには大した席回ってこないわな。カジモトとか一般発売前に終わったりするし。

 

注1:要約すればシェイクスピアでなくとも大概しょうもない内容になりますが、とりわけオペラはテキストと尺の点でシェイクスピアの品位を保つのが厳しい。

注2:聴く機会の少ない日本ではオリジナルに近い演出が好まれるらしいですが、私も、少なくとも物議を醸す様な斬新な演出は要らない。

注3:2000年代以降のオペラ界には私は疎く、プラシド・ドミンゴより後のオテロ歌いを私は知らない。