甘く香るか青いバラ

ロードバイク初心者がディスクロード+EPSを自分で組んだ記録から始めてみる

ウィーン&ローマ旅行記 6日目後編 NUNC EAMUS ROMAM❗️

そのあと歩き回ってランチを確保しました。

Restaurant Müllerbeisl

TAのランキングでは限りなくフィギュルミュラーと同じミュラーバイスル‘Müllerbeisl‘(TAウィーンのレストラン3,611件中336位)。

嫁のスープ。
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ここでも私はシュニッツェル、嫁はニョッキ。

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ホールのリーダーと思しき年配の陽気なイタリア人の給仕が気持ち良い店でした(若いアジア系はそうでもない)。

www.muellerbeisl.com

テーブル数の多い、大きな店でした。お客はイタリア人のグループが多かったなと。

€60@2人で美味しくいただきました。

 

そのまま歩いて市立公園(TAウィーンの観光スポット1,071件中43位)に移動。

毎年のニューイヤー・コンサートでお馴染みのヨハン・シュトラウス2世像。
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またトラムに乗ってグレートラー通り駅まで行き、ドナウのマリーエン橋を徒歩で渡ってローマ帝国思いを馳せました。

郊外の500mくらいの山々。

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生憎ドナウ川本流でなくドナウ運河の方なので、ローマ帝国の外には出ていません。
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当初更に先の観覧車とアウガルテンに行くというプランもありましたが、アウガルテンのアウトレットは大したことない(旧市街の本店は高い)&観覧車は別のに昨日乗った、と言うことで嫁の希望がなかったので見送りました。

 

ザンクトシュテファンだけは一際高いので、よく分かります。

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間も無く16時、ホテルに頼んでおいたタクシーの迎え時刻なので、ホテルに戻って荷物を回収し、タクシーに乗りました。

プリウスαのフツーのタクシーでよかったのですが、来た時と同じようなアウディのワゴン・ハイヤーでした。

タクシーより高いけど快適ではある€65。

 

さて空港です。

ラウンジはターミナルの中央棟にしかなく、同時刻に同目的地にライアンエアが飛ぶことに気付いていなかった我らは、オーストリア航空の名がどこにもない別ターミナルを彷徨ったりしながら適度に時間を浪費してから、搭乗口で待機。予定フライト時刻が過ぎるまで待機した後で、OS505便に乗りました。

 

フライト:OS505(ウィーン→ローマ)

また遅れました。

もーね、ドイツ人/オーストリア人は、定刻運航する能力も意思もないのでは?

 

ウィーンですが。

街並みが綺麗でした。

リングを出てもバロックで統一感のある街並みは、主要都市ではローマぐらいしか例えるものを私は知りません。もっと新しいパリやロンドンなんかより全然美しいです。パリと違って足元も清潔だし。

フィレンツェも美しいですが、もう1つ古いルネサンスの街並みは、些か軽やかさに欠けます。

 

ローマへ!

ローマ、フィウミチーノ空港に到着しました.当然ですが、ウィーンに続いて此度も夜です。而も、更に遅い定刻20:40着、実際には21時過ぎ着。

楽したいので電車🚃もバス🚌お断りです。ローマ行きのタクシー🚖に乗ろうと到着ロビーに出ると、私たちを待っているドライバーがいました。

やっぱり。

プロポーザルはOnewayなのにトリップアドバイザーの予約フォームがGo&Returnになっていたので、かなりしつこく到着ワンウェイだと伝えていたのですが。

www.transferservicerome.com

TAローマの交通機関697件中52位

 

まあドライバー(ファブリツィオさん)が悪いんじゃないかもしれないし、タクシーより高くなりましたが、基本は楽をしたかったので時間も時間なので、乗りました。

 

車種は黒塗りのメルセデス・ベンツEクラス、一般チャーター車としては最高クラスですね。といってもヨーロッパ行けば個人タクシーでEクラスやBMW5シリーズを使うドライバーもいるので初めてではないかもしれない。そこそこ広い(足元の前後長は日産ティーダくらい?所詮その程度ではある)し、速いし、気分いいです。

が、石畳のローマの裏道、細かい凹凸のいなしは日本車や(多分)フランス車に劣るんじゃないかな。ベンツなんてそんなものの筈なので。ショーファードリヴンとしては、センチュリーは別格として、日本仕様のクラウンの右に出るヨーロッパ車なんてないでしょう、多分。

 

フィウミチーノ空港を発った我らがベンツは、A90からアウレリア通りに入り、ヴァチカーノ通りをヴァチカン北側城壁に沿って東進、サンタンジェロ城の北端を掠めてカヴール広場から最高裁判所を眺め、カヴール橋を渡ってトマチェッリ通りに入りました。

ここでコルソ通りにぶつかったカルロ・ゴルドーニ広場=フェンディの前をゴールにすればよかったのですが、住所(番地)を見ながら走るファブリツィオさん、1つ前のレオンチーノ通りに入ってしまい、一方通行に嵌りながら、結局レオンチーノ通りとフォンタネッラ・ディ・ボルゲーゼ通りの交差点で立ち往生しました。

ホテルじゃないので、それっぽいエントランスがないのです。

結局電話して宿泊先の当直スタッフに迎えにきてもらいました。ラスト1マイルならぬラスト40m、ラスト0.025マイルをアプローチし切れませんでした。

 

Residenza Ruspoli Bonaparte

レジデンツァ・ルスポリ・ボナパルテ‘Residenza Ruspoli Bonaparte’(TAローマのB&B2,235件中1,027位)☆☆☆☆

residenzaruspolibonaparte.com

 

ローマ教皇から称号を賜った名門9貴族のうちの1つ、ルスポリ家の邸宅(左のデカい建物)の一部を所謂民泊として開放しているものです。

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姉妹施設なのか、同じ建物内の別のエリアがレジデンツァ ナポレオーネ III Residenza Napoleone IIIとして同じく民泊営業されています。

www.residenzanapoleone.com

 

もっと高価な、もっと豪華はホテルもありますが、宮殿に泊まりたかったのです。

選んだのは、クイーン・オルテンセ・スイート‘Suite Regina Ortensia Bonaparte’。

営業4室のうち、かなり広くてかなり高価な部屋が3室あるのですが、1番プリンセスっぽい部屋です。

この部屋が、ローマにおけるこの旅の目的その1。

もう日付が変わります。明日は早いです。豪華な部屋に超アゲの嫁をさっさと寝かし付けます。